終戦記念日と月遅れの盆が重なった15日夕。大阪市天王寺区の旧真田山陸軍墓地で、約5100基の墓碑の前にろうそくの灯をともす「万灯会(まんとうえ)」があった。
台風とコロナ禍で延期が続き、赤茶けた墓碑の前でオレンジ色の炎が幻想的に揺れるのは4年ぶりだ。墓碑に手を合わせた井岡正宣さん(79)は2歳の時に父が中国・湖南省で戦死した。「二度と起こしてはいけないという祈りを込めました」と話した。一方、藤本菜摘(なつみ)さん(26)は「平和のために自分ができることを考えました」と語った。
JR玉造駅から徒歩5分。住宅街に囲まれた小高い丘にある墓地の面積は、甲子園球場のグラウンド面積とほぼ同じ約1万5千平方メートル。その歴史は陸軍が創設された1871(明治4)年にさかのぼり、日本最古で最大の旧陸軍墓地として知られる。
門を入ってすぐ目に入るのは、明治期の日清戦争で亡くなった軍役夫の墓。「馬丁」「鉄道工夫」といいった文字が刻まれている。その奥には西南戦争の戦死者の墓。周りには日露戦争や満州事変で命を落とした兵士の遺骨を納めた合葬墓や、日中戦争から太平洋戦争までの戦死者の遺骨を安置した納骨堂が並ぶ。
「令和の修繕」をきっかけに浮上した議論
150年の歴史を刻んできた墓地ではいま、老朽化した墓碑や納骨堂を補強する「令和の修繕」が進む。その過程で浮上したのが、墓地をどんな理念で未来に残すのか、という議論だ。
きっかけは、関西空港が浸水するなどした2018年9月の台風21号で墓碑の7割が被害を受け、納骨堂にひびが入ったことだ。
墓地は戦後、財務省が大阪市に無償貸し付けした経緯から、当初国は対応に消極的だったが、大阪市長だった吉村洋文・大阪府知事が官邸で菅義偉官房長官(当時)と面談したことで一転。年間300万円程度だった国の補修費は5年間で約5億円に増え、墓地の修繕が進んだ。
大阪市長名の要望書は「殉じた方の慰霊」と強調
論議を呼んだのはその際、大阪市長名で提出された要望書に、「墓地は、国民の生命・財産を守り、その使命を果たすために殉じた方を慰霊する施設であると明確に位置づける」と記されていたことだ。
これに異を唱えたのは、墓地の調査に四半世紀以上取り組み、NPO法人「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」理事長を務める小田康徳・大阪電気通信大名誉教授(76)らだ。
「補修が進むことは歓迎だが、埋葬者の多様性や背景にあった歴史と向き合わず一面的に『殉国』の美辞麗句でくくって良いのか」
■墓地には外国人兵も埋葬、「…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル